チューリングテストというものをご存じだろうか?「機械には思考が可能か」という問いに答えを出すために、数学者のアラン・チューリングが1950年に提案した試験のことである。
審判がコンピュータ端末を使って、姿の見えない「2人」の相手と5分間づつチャットする。一方は本物の人間(サクラ)、一方はAI(人工知能)。チューリングは、2000年までにコンピュータが5分間の会話で30%の審判員を騙せるようになり、「機械は考えることができると発言しても反論されなくなる」と予言した。
その予言は、いまだ実現していない。だが毎年毎年、数々の腕自慢たちが「最も人間らしいコンピュータ」の称号を手にすべく、我こそはと名乗りをあげてきた。本書の著者も、チューリングテストの中でも最も有名な大会であるローブナー賞に参加した人物である。
しかし、著者が目指したのは「最も人間らしいコンピュータ」の称号ではなかった。この大会にはもう一つ興味深い称号も存在するのである。審判員から最も得票を集め、さらにその自信度も最も高いサクラに贈られる称号、「最も人間らしい人間」賞の方であったのだ。本書は、そんな人間らしさを追求した著者の挑戦記でもある。
主人公はボツワナの北西部にあるカラハリ砂漠で狩猟採集を営むクンの人々。このクンの成人の1/3以上が、薬物を使うことなしに、日常的に変性意識状態に入ることができるのだという。
変性意識状態とは、通常の日常的な意識状態とは別レイヤーに存在するものである。その一つの例が超越体験であり、これが彼らの社会においては癒しのプロセスとして組み込まれているのだ。
本書は、そんな不思議な世界観を持つクンの人々を、徹底的なフィールドワークによって描き出した一冊である。
本書に流れる半分の時間、すなわち人間的時間を理解するのは多くの人にとって容易なことであるだろう。しかし残り半分の宇宙的時間の世界は、ハードルが高いと感じる方も多いかもしれない。実際に僕も、何カ所か理解のあやしいところがあった。言葉尻は追えるのだが、具体的なイメージがわかないのである。
それでも僕がこの本をおススメしたいのは、本書がその深淵なる宇宙の世界へと誘う力が非常に強いということにある。
ヒトをヒトたらしめていることの一つに、農業を営むということがあげられる。狩猟採集から農耕定住へと進化することで、食料の安定性を確保し、文明への新たな一歩を踏み出しのだ。
しかし動物の中にも農業を営むものがいるとは、知らなかった。しかも農業を始めたのが、人類よりも何千万年も早いのだというから驚く。それが本書で紹介されているハキリアリという生物だ。
誰だって物事が上手く進まなかったり、失敗したりすることで、回り道を強いられることがある。しかし、その時はショックであったことでも、後から振り返ると「なんであんなことで落ち込んでいたんだろう」と思うようになることもある。
僕にとってHONZというのは、まさにそういう存在だ。何を隠そう、僕は現・HONZメンバーで唯一の「HONZに落ちた男」なのである。そんな僕の目から見たHONZに入るまでのこと、そして入った後のこと。
Facebookなどを眺めていると、定期的にスパムアプリらしきものを見かけることがある。今でこそ簡単に引っかかる人も少なくなってきたが、最初のころは友人達が軒並み引っかかっているのを見て戦慄に近いものを覚えた。人間関係を利用した手法がいかに強力であるか、視覚的に確認することが出来たからである。
そんな人間関係を悪用したソーシャル型犯罪、そのはしりとなったのが、2000年代初頭に暗躍した「オレオレ詐欺」だろう。本書は、後に「振り込め詐欺」という正式名称も付くことになる犯罪を、日本で最初に始めた男の告白記である。
どのようなワークスタイルを選ぼうとも一長一短はある。その中でもテキヤという伝統的な共同体と昨今の都市ノマドというものの間に共通点がいくつか見つかるのは興味深い事実だ。例えば親分子分の関係はメンターやロールモデルと呼ばれるもので代替されるだろうし、社会集団一家はソーシャルメディアそのもの、一家の中での序列というものも評判に基づくフォロワー数などで測ることできるだろう。
しかし決定的に違うのは、その共同体が変動的なのか、固定的なのかということである。固定された共同体には窮屈さが付き纏う。ひょっとすると若者の「一家」離れ、蔓延する「一家」疲れ等の現象も起きているのかもしれない。それでも、その窮屈さと引き換えに、ネットでは為しえないものが存在しているのだということも本書は示唆している。
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ハレの日の都市ノマド -『テキヤ稼業のフォークロア』
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本書を一読した後の読後感は、初めて『
ウェブ進化論』(梅田望夫・著、ちくま新書)を読んだ時のインパクトに酷似していた。ウェブ進化論で「次の10年への三大潮流」として書かれていた、「インターネット」、「チープ革命」、「オープンソース」。これらがまさに今、遺伝子の領域で起こっているという印象なのだ。
様々な文献や著者自身の経験に裏打ちされている部分も多く、時代の風雪に十分耐えうる息の長い一冊になると思う。しかし40年前の「当事者」と今の「当事者」という言葉の受け止め方が違うように、40年後にもきっと「当事者」という言葉の意味は変わっているのだろう。そして、それがどのように変わるのかは、私たち今の「当事者」が鍵を握っている、そんな覚悟を迫る一冊だ。
ピダハンはその法則に基づき、自分たちの思考の範囲を「今、ここ、自分」に絞っている。このことによる機会損失はもちろん否定できないのだが、同時に不安や恐れ、絶望といった西洋社会を席巻している厄災をも、ほとんど取り除いてしまっているのだ。
事実、ピダハンには、抑うつや慢性疲労、極度の不安、パニック発作など、産業界の進んだ社会では日常的な精神疾患の形跡が見られないのだという。また、著者自身、ピダハンが心配だという言葉を発することですら、聞いたことがないそうだ。
これに倣えば、我々が普段口にする発言の内容を「今、ここ、自分」に絞り込むことによって、さまざまな弊害が消え、毎日の気分が軽くなる可能性だって否定はできないと思うのだ。